Mgl japan 2023

プロフィール

リーチマイケルは2008年にブレイブブロッサムズで国際試合をデビューしてからラグビーでの成功を楽しんできた。

マイケルの経験を通して日本が世界のラグビーから敬意を得られた要因がある。マイケルのプレーは日本のラグビーがより競争力を向上させることに大きな役割を果たした。それは2015年の南アフリカ戦を劇的に勝利したことにもあげられる。

マイケルが生まれたのはニュージーランドの南島にあるクライストチャーチで、セントビーツカレッジというカトリック系の男子校に通った。2004年、姉妹校関係を利用して札幌山の手高校に留学をする。そこで日本語とラグビーに精通した。

東海大学に在学中、2008年に20歳の若さでマイケルは日本の代表チームにデビューする。2011年に東芝ブレイブルーパスに入団し、同年のワールドカップで目覚ましい活躍を見せた。

東芝での初シーズンにトップリーグのベストフィフティーンに選ばれ新人賞を受賞する。2011年のワールドカップでの活躍が認められ、2013年にはニュージーランドのハミルトンを拠点とするChiefsの強化合宿メンバーに起用された。2013年にはケガが続き、そのシーズンの試合に出場することはできかった。しかし、2015年に再び声がかかりマイケルは思い切って挑戦することになりChiefsでのプレーは高い評価を得た。その結果、初シーズンでルーキーオブザイヤーに選ばれることになった。

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スーパーラグビーでの2年の経験はマイケルを選手として、またリーダーとして大きく成長させた。この経験が、2015年のワールドカップ、南アフリカのスプリングボックス戦でジャパンを勝利に導くことになるのだ。

マイケルはスーパーラグビーのサンウルフズとトップリーグの東芝ブレイブルーパスで活躍し続けている。マイケルは代表チームのキャプテンでもあり、日本ラグビーの代表的な選手の一人である。

プール戦ではロシア、アイルランド、サモアとスコットランド戦で負ける事もなく、勝利のパフォーマンスをして日本中が沸いた。 ブレイブブロッサムズは優勝した南アフリカには負けたが、初のアジアから準々決勝に進んだ。

ラグビーだけじゃなくアウトドアが好きで特にハンティング、釣り、トレッキングと趣味も多い。マイケルは教育とスポーツを若い人にも機会を作るために慈善活動にも力を注いでいる。日本でラグビーの基礎を学んだ札幌山の手高校との絆は今でも強く、留学生のために基金を設立している。